七大戦レーン 先発

七大戦レーンの先発を任されました。西田翔です。新ブログサイト移行後初めてということで、簡単な自己紹介をします。

名前:西田翔(にしだしょう)
大学:名古屋大学
学部:情報学部 人間・社会情報学科
出身:桃山(京都)
趣味:野球、旅行

それでは、先発ということで長めのイニングを消費した方が良さそうなので、3つの章に分けて、書き綴ります。

【第1章】七大戦と私 〜「あの夏を取り返しに」〜

 七大戦という大会の存在を知ったのは、高校3年生の夏でした。場所は京都のたけびしスタジアム。たまたま陸上の大会があると知って足を運ぼうとしたものの、「無観客開催」の壁に阻まれ、門前払い。結局、遠くからスタジアムの雰囲気だけを感じ取りながら、「七大戦って、何だか特別っぽいな」と漠然と憧れを抱いたのを覚えています。

 そして時は流れて大学1年生。仙台開催の七大戦に。金曜のテストが終わるやいなや、青春18きっぷ片手に先輩方と在来線で大宮へ。そこから東北新幹線で仙台へ乗り込みました。実はそれまで、東方面では浜松が最遠記録だった私にとって、熱海の海岸線や東京のビル群は、まるで映画のワンシーンのような非日常。やけにテンションが上がったのを覚えています。

 レースの結果は、1500m 4分20秒。可もなく不可もなく、PBでもSBでもない。でも記憶に残っているのはレースそのものよりも、猛暑の中で補助員をやったこと、スタブロを逆さに置いてしまったケビン、そして名大が優勝したという結果。あれが、七大戦の魔力だったのでしょう。

 2年生の七大戦は東京開催。行きの交通手段が謎に満ちていました。なぜか短距離なのに“特急踊り子”に乗車。メガホン片手に乗り込んだ浅野が、背もたれと一緒に座面が前に出るシートに驚いていたのが妙に印象的です。

 1500mは4分23秒、5000mは16分41秒。前年よりも遅く、PB更新はまたもならず。しかもこのあたりから「PBの出ない2年間」という暗黒期に突入することになります。テスト、レポート、車校の三重苦に追われ、バタバタと現地入り。帰ってきたら名古屋駅に立っていた。そんな記憶しかありません。

 3年生。七大戦は豊橋。近場ということもあり、2日間とも車移動でしたが、この「豊橋競技場」とは相性が最悪。1~3年の合宿もここで開催されたのですが、なぜか毎年ケガをして完遂できず。まるで呪いでもかかっているかのような土地です。

 5000mは18分11秒。自身初の18分台。暑さもありましたが、それ以上に準備不足がたたりました。給水を取り損ねたラスト1周では、「絶望」という言葉が脳内をぐるぐる。応援してくれた人々に顔向けできないレースでした。

 そして今年、4年生の七大戦。場所は――北海道。人生初の北の大地。飛行機での移動も含め、未知のことばかり。レースは1500mに出場予定。これまで3回、七大戦で一度も良い思いをしていない私が、最後の夏に“何か”を起こせるか。今はその一点に思いを込めています。

【第2章】1500mと私 〜「PBという亡霊を追って」〜

 1500mという種目。私にとっては、出戻りのような距離です。時代はさかのぼって中学時代。当時の私はあまりスタミナがなく、同じ中学には3000mで無双していた佐藤圭汰(現・駒沢大)がいたこともあり、自然と1500mを選んでいました。彼が3000mを走るなら、私は1500mで勝負するしかない、という戦略的選択です。京都市の中学総体で決勝に残ったことは何となく覚えていますが、そのレースの詳細は「走っただけ」だったような記憶しかありません。

 高校でも1500mを主戦場としていました。ケガによる長期離脱もありながら、2年生になると後輩として西園悠人(現・大阪公立大)が入ってきました。彼とはよく1500m練習を一緒にやりました。Jog中に抜け出して、大岩山や伏見稲荷大社に寄り道したこと、彼はまだ覚えてくれているでしょうか。ちなみに最近の京都選手権で優勝していました。おめでとう!

 3年時には、何とか京都IH出場を果たしました。そのときのタイムが、今も破れていないPBです。大学では長距離種目に挑戦してきましたが、昨年の東国体で、対校1500mに初めて出場。応援の力もあり、なんと3位入賞!人生初の賞状ももらいました。ですが、またしてもPB更新は叶わず。

 このPB、もう4年も更新できていません。今年こそ、その亡霊を振り切りたいと思っています。

【第3章】いざ、北海道へ 〜「最後の夏に、もう一度、自分を信じて」〜

 七大戦まで、あと10日を切りました。時間にすれば、240時間。1日8時間眠るとして、起きている時間はおよそ160時間。1時間1時間がどんどん過ぎ去っていく中で、「今年で最後か」とふと思うことが、最近少しずつ増えてきました。

 七大戦は、僕にとって特別な大会です。タイムを狙う記録会とも違うし、大規模で全国的な大会とも違う。それでも、どこか“燃える”ものがあるのが、この大会。試合直前、ユニフォームを着てスタートラインに立ったとき、遠くで仲間の声が聞こえた瞬間、「あ、戦ってるんだ」と一気にスイッチが入る。そんな経験をするのかなあと思います。

 4年間、いろんなことがありました。うまくいかない練習もあったし、思い描いていた結果が出せなかった試合もたくさんありました。仲間が結果を出していく中、自分だけが取り残されていくような感覚に陥った日もありました。それでも、いつだって走ることから離れずにいられたのは、このチームに居場所があったからだと思っています。

 七大戦は、そんな自分が“名大の一員”として戦える最後の舞台です。自分の走りが、誰かの背中を押すことがあると信じて、最後の一歩まで出し切りたい。

 今回の開催地は、北海道。僕にとっては人生初の上陸です。夏の北海道と聞くと、どこか爽やかで涼しいイメージがありますが、実際の気候はどうなんでしょうか。気温や湿度、風の向き、日差しの強さ。まだ見ぬコンディションへの不安もありますが、それ以上に、まだ見ぬ土地で走れることに、今は素直にワクワクしています。

 レースは1500m。ここまで何度も苦い思いをしてきた種目です。でも、その距離に、最後にもう一度挑む意味があると思っています。記録を狙うだけなら、きっと他の大会でもよかった。だけど僕は、七大戦という“仲間が応援してくれる場所”でこそ、PBを更新したいと思っています。タイムは数字だけれど、その裏にある熱、感情、声援、過去、そして自分の今を、すべてこの1500mにぶつけたい。

 僕はもう一度、自分を信じて走ります。どれだけ準備しても、どれだけ祈っても、陸上は思い通りにいかないことが多い。だからこそ、今度こそ、“やりきった”と言えるように。そんなレースを、自分自身に贈るつもりで走ります。

 名大は、今年は苦しい戦いになるかもしれません。けれど、七大戦に“下馬評”なんて関係ありません。本気で走って、本気で応援して、最後まで全員で戦い抜く。それがこの大会の魅力であり、僕らのやってきたことです。

 どれだけ離されても、1人でも前を追う選手がいれば、応援席は声を枯らしてその背中を押す。どれだけ苦しくても、フィニッシュラインの先には必ず仲間が待っている。それを知っているからこそ、僕らは最後まで走り続けられる。

 初めて七大戦を知ったのは、あのスタジアムの外側からでした。中に入ることもできず、ただ遠巻きに眺めるしかなかった日。あれから4年。

 最後の七大戦。最後の1500m?

 誰かのためでも、過去の自分のためでもない。ただ、今の自分ができる最高の走りを――

 すべての声援に応えるために、僕は、走ります。

 応援、よろしくお願いします!

なんか長くなりましたが、次はパート長チャンネルののぞみに回します。

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